菜食3菜食を実践して勝利を得たアスリートたち-------------------------------------------------------------------------------- ・水泳 マレーローズ(1939年1月6日-) オーストラリアで生まれたマレー・ローズは、幼い頃ひ弱であった。 そのため彼の両親は、肉食を禁じ、健康な土壌で栽培され、有害な化学成分を含まない自然食品で彼を育てようとした。 豆を多く摂り、海藻、にんじんのジュース、ひまわりの種子、玄米、ゴマなどを食べさせつづけたのである。 この食事が、連日1万5000mにも及ぶ猛練習に耐えるスタミナ源となった。 自然食で育てると共に水泳狂であった両親は、ローズが13歳になったとき、名コーチのハーフォード(写真右)につけた。 彼はめきめき腕をあげ、わずか4年後には《世界一早く泳ぐ男》になったのである。 食事のメニューは、いつもすべて両親の指示によった。 両親の考えは、「人類の腸の長さからいっても、もともと草食動物なのだ。 だから、肉食や胃に負担を多く与える食物は、死を早める。人類はエデンの園にかえった生活をするべきなのだ」というもので、「科学者の理論であとになって誤りであったという例があまりにも多い」と考えて、強い信念のもとに、穀菜食をつらぬきとおしたのである。 マレー・ローズの食事については、父親のイアン・F・ローズの著した【世界記録を生んだ栄養食】に、くわしく述べられている。 -------------------------------------------------------------------------------- ・マラソン オリンピックといえば《はだしの英雄》アベベも、印象に強く残っている一人だ。 1960年のローマ大会と、1964年の東京大会で、オリンピック初のマラソンの連続金メダリストになった。 ローマ・オリンピックでのアベベ・ビキラのタイムは2時間15分16秒2。 たいまつの燃えるコンスタンチンのゴールへ真っ先に姿をあらわしたのは下馬評にものぼっていなかったエチオピアのアベベだった。 りっぱな記録もさることながら、人々をもっと驚かせたのは、アベベがはだしだったことである。 アベベはエチオピア皇帝の護衛士官だったが、 「毎朝みんなといっしょに兵営を出て、約100kmほどアフリカの山野をかけめぐる。 この間食べるのは木の実や野イチゴだ」と語った事から、彼の優勝は『野生の勝利』といわれた。 東京大会でも、2時間12分11秒2の世界最高タイムで優勝したが、ゴール後、「もう一度走れといわれたら走ってみせる」と豪語した。たいへんなスタミナである。 -------------------------------------------------------------------------------- ・ベジタリアンのテニスプレイヤー マルチナ・ナブラチロワ ナブラチロワの強さの秘訣はその食事法にある。 栄養指導者ロバート・ハース博士によって考案された特別食が、そのささえになっているのだ。 特別食といっても、さして特別なものではない。 簡単に言えばその人の体質に合わせた穀・菜食を主体とする、ということである。 博士が最も理想とする食事は、脂肪分が極めて少ないポテトやスパゲッティー、パンなどの炭水化物、新鮮な果物、野菜を多く摂ること。 逆に、コレステロール、脂肪、動物性タンパク質を含むものや、塩分、砂糖を取らないことである。 ナブラチロワと同じように、ハース博士の指導をうけている一流のスポーツ選手は多い。 テニスのジミー・コナーズやジョン・マッケンローらもそうである。 ロバート博士はたんぱく質のウソとしてたんぱく質は脂肪と糖にかえられ、体の各部に蓄えられるためである。と警告している。 余ったたんぱく質は脂肪と糖にかえられ、体の各部に貯えられるためである。 また、肉が腸内で腐敗して発生する有害物質を解毒し、体外に排出するために、腎臓や肝臓に大きな負担がかかり、ミネラルやビタミンも余分に消費されてしまうので、これらの栄養素の欠乏をきたす、と述べている。 タンパク質や脂肪が分解してブドウ糖にかわる過程を糖新生という。 この過程は、炭水化物がブドウ糖に分解する解糖作業に比べると、複雑な過程を要し、多くのビタミンやミネラルを消費する。 したがって、植物性食品のかわりに動物性食品をエネルギー源にすると、栄養バランスを狂わせ、生理的に無理が生ずる。 (Martina Navratilova, 1956年10月18日 - )は、旧チェコスロバキア・プラハ出身の女子プロテニス選手。1975年に故国を離れてアメリカに亡命し、1981年に米国市民権を取得した。左利きの選手で、ネット・プレーを最も得意にしている。ウィンブルドン選手権の大会史上最多優勝記録(9勝)、WTAツアーのシングルス最多優勝記録(167勝)など、数々の歴史的な記録を樹立した名選手である。4大大会シングルス通算「18勝」はライバルのクリス・エバートと並ぶ女子歴代4位タイ記録。 WTAツアー最終戦において、女子テニス選手として初めての「引退式典」がナブラチロワの偉業を讃えて開催された。38歳に至るまで第一線で活躍した 4大大会優勝 全豪オープン:3勝(1981年、1983年、1985年) 全仏オープン:2勝(1982年、1984年) ウィンブルドン:9勝(1978年&1979年、1982年~1987年、1990年) [大会歴代1位、6連覇を含む] 全米オープン:4勝(1983年、1984年、1986年、1987年) 1997年に史上最年少で世界ランキング1位になったマルチナ・ヒンギスが、「ナブラチロワにあやかって」命名されたことはよく知られている。 |